ノンキャリ公務員の日記・反省・思いつき。
「どっちでもいいじゃん」というところにまで"こだわって仕事をする方"がいらっしゃる。
もちろん、何かにこだわって仕事をするのは悪いことではないし、むしろその部分が改善されるならば喜ばしいことだし、ある意味では丁寧と言えるのかもしれない。ただ、このお方の場合は、「そこはしっかりとしておかないとダメだろ!!」という箇所をおざなりに済ましてしまうのが困りものである。
なぜこういう行動をとるのか、ってのは本人にしか分らないことだろうけど、勝手に推測してみると、仕事の優先順位がわかっていないんだろうな、というところに行きつく。
つまり、(1)複数の業務を同時進行するなかでどの業務を優先的に片付けなければならないかを選択する能力が不足している。さらに、(2)能力的・時間的・費用的制約がある以上、ひとつの仕事を仕上げるにあたって何かを諦めなくてはならないと思うのだけれど、その諦める何かを選択する能力が不足している、ということだと思う。
上で述べたようなことは多分誰でもわかっていることで、冒頭で書いた"こだわって仕事をする方"も重々承知なのだろうとは思うのだけれど、それでもなお"こだわって"しまうのは、(2)を実行を移すには、いろいろと必要な覚悟が出てくるからだろうと推測。
どいういうことかっていうと、(2)を実行するということは、「私の能力的な限界はここまでです」ってことを周囲に宣言するに等しい。「自分の能力で出来ることはここまでです」と宣言し、絶対しなければならない部分を諦めることは全然悪いことではないと思う。むしろ、分業制で仕事をするうえで、必要なことであると僕は思う。
しかし、"こだわる人"というのはそれを悪いことと考えているのか、それとも、自分は切り捨てる仕事を選択する必要もないほど才能に満ち溢れた能力を持っていると信じているのか、もしかすると細部にこだわることで逆説的に自分を有能な人間だと認めさせようとしているのか、不思議と選択することをしない。
というわけで、自分のスペックを認める覚悟がないと、無駄に細かいところにまで"こだわって"しまうんじゃないだろうか。本当に細かい部分にこだわる職人肌的な人は、基礎的な部分・重要な部分をキチンとこなしたうえで、自分のこだわりを仕事に表現するものだと思う。
まぁ、細かい部分と重要な部分の区別すらできてない僕が言うのもなんだけどサ。。
もちろん、何かにこだわって仕事をするのは悪いことではないし、むしろその部分が改善されるならば喜ばしいことだし、ある意味では丁寧と言えるのかもしれない。ただ、このお方の場合は、「そこはしっかりとしておかないとダメだろ!!」という箇所をおざなりに済ましてしまうのが困りものである。
なぜこういう行動をとるのか、ってのは本人にしか分らないことだろうけど、勝手に推測してみると、仕事の優先順位がわかっていないんだろうな、というところに行きつく。
つまり、(1)複数の業務を同時進行するなかでどの業務を優先的に片付けなければならないかを選択する能力が不足している。さらに、(2)能力的・時間的・費用的制約がある以上、ひとつの仕事を仕上げるにあたって何かを諦めなくてはならないと思うのだけれど、その諦める何かを選択する能力が不足している、ということだと思う。
上で述べたようなことは多分誰でもわかっていることで、冒頭で書いた"こだわって仕事をする方"も重々承知なのだろうとは思うのだけれど、それでもなお"こだわって"しまうのは、(2)を実行を移すには、いろいろと必要な覚悟が出てくるからだろうと推測。
どいういうことかっていうと、(2)を実行するということは、「私の能力的な限界はここまでです」ってことを周囲に宣言するに等しい。「自分の能力で出来ることはここまでです」と宣言し、絶対しなければならない部分を諦めることは全然悪いことではないと思う。むしろ、分業制で仕事をするうえで、必要なことであると僕は思う。
しかし、"こだわる人"というのはそれを悪いことと考えているのか、それとも、自分は切り捨てる仕事を選択する必要もないほど才能に満ち溢れた能力を持っていると信じているのか、もしかすると細部にこだわることで逆説的に自分を有能な人間だと認めさせようとしているのか、不思議と選択することをしない。
というわけで、自分のスペックを認める覚悟がないと、無駄に細かいところにまで"こだわって"しまうんじゃないだろうか。本当に細かい部分にこだわる職人肌的な人は、基礎的な部分・重要な部分をキチンとこなしたうえで、自分のこだわりを仕事に表現するものだと思う。
まぁ、細かい部分と重要な部分の区別すらできてない僕が言うのもなんだけどサ。。
デキる人間は行動的であると思う。
仕事でも、プライベートでも行動的であると思う。
(行動的というとアウトドアな感じがするけど、ここでいうそれはインドアなものを含む)
そして、行動的であるから、そういう人にとって休日は「仕事から解放され、仕事以外の何かができる日」となる。一方でそうでない人にとっては「仕事から解放され、何もしなくてよい日」となる。
んで、思いっきり後者にカテゴライズされる僕にとって、連休明けの会話で、「休日、何をしました〜?」みたいな会話を振られても、いささか返答に苦しむ。「休日ってのは、そもそも何もしない日ですから、何をしたのかって聞かれてもなぁ・・・」といった具合に。
でも実際のところは上みたいな会話を振られて「何もしてません。強いて言えばブログ巡りとニコニコ動画視聴です」というのもまずいと思うので、ある程度会話・社交がこなせるように、"社会的な休日"を無理やり過ごしている。
本当はすべての休日を、予定など入れず、だらだらと過ごしたいと考えているのだけれど。
仕事でも、プライベートでも行動的であると思う。
(行動的というとアウトドアな感じがするけど、ここでいうそれはインドアなものを含む)
そして、行動的であるから、そういう人にとって休日は「仕事から解放され、仕事以外の何かができる日」となる。一方でそうでない人にとっては「仕事から解放され、何もしなくてよい日」となる。
んで、思いっきり後者にカテゴライズされる僕にとって、連休明けの会話で、「休日、何をしました〜?」みたいな会話を振られても、いささか返答に苦しむ。「休日ってのは、そもそも何もしない日ですから、何をしたのかって聞かれてもなぁ・・・」といった具合に。
でも実際のところは上みたいな会話を振られて「何もしてません。強いて言えばブログ巡りとニコニコ動画視聴です」というのもまずいと思うので、ある程度会話・社交がこなせるように、"社会的な休日"を無理やり過ごしている。
本当はすべての休日を、予定など入れず、だらだらと過ごしたいと考えているのだけれど。
議論をしている最中、「あ、自分、もしかしたら間違ってるかも」と思う瞬間がある。自分の意見のボロが出てきて、相手の意見が正しく思えてくる、そう議論から降りたくなる瞬間だ。ここで理想論を言うと、間違ってると思った瞬間に「俺の意見は間違ってました。根拠不足でした。あなたの主張が正しいです」と認めることだと思う。
しかし、たとえ自分の意見が間違ってるっぽい……と感じていても、なかなか自分から素直に「俺が間違っていた」とは認めにくいものだ。原因は面子・プライドである。議論が白熱すればするほど、またギャラリーが多ければ多いほど、<負け>を認めることはプライドが許さないことだろう。
にもかかわらず、劣勢になった相手方に「やっぱり正しいのは俺だろ?!ほら早く<負け>を認めろよプギャーw」などと煽り気味に<負け>を強要する人がたま〜にいる。ただ、これは全くの逆効果であり、煽られた方は自分の意見が間違いなど薄々感じつつも、プライドを守りたい感情から、重箱の隅をつつくような反論を繰り返し、議論は泥沼に陥るだろう。
一方で、議論上手な人(=自分と違う意見を主張する者に、自分の意見を納得させる術に長けた人)というは、議論相手が、「もう降りたい」と思ったとき、相手に「腕を振り下ろす瞬間」を提供する能力に優れている。要するに、議論している相手に「俺の意見が完全に間違っているわけじゃないけど、今回はまぁ、君の意見がより相応しいかな」と、自発的に言わしめる瞬間を作るのが上手、そういう風に自然と言わせるように誘導するのが上手、もっといえば「意見の非を認めても、プライドが潰れないような雰囲気を作り出す」のが上手なのだと思う(たとえば、「一般論・大部分のケースでは貴方の方が正しいかもしれないけど、今回は超レアケスですからねー」「えっ、そんなレアケースありかよ?!知らなかったぜ。こんなの予測できねーよバーロww」「ほんと、バーロですよねーwじゃあ超超レアケースの今回は僕の案で行きますので〜w」みたいな雰囲気。う、表現しにくい…)
「相手のプライドも守りつつも、自分の主張を通す」、これが議論上手というものだと思う。議論の目的は、あくまで自分の主張を認めさせることであって、相手のプライドを潰すことではない。
以上、ある問題を対処するために、通達をどう解釈するかを巡っての、課長補佐と課長の議論を聞いていて感じたこと。
しかし、たとえ自分の意見が間違ってるっぽい……と感じていても、なかなか自分から素直に「俺が間違っていた」とは認めにくいものだ。原因は面子・プライドである。議論が白熱すればするほど、またギャラリーが多ければ多いほど、<負け>を認めることはプライドが許さないことだろう。
にもかかわらず、劣勢になった相手方に「やっぱり正しいのは俺だろ?!ほら早く<負け>を認めろよプギャーw」などと煽り気味に<負け>を強要する人がたま〜にいる。ただ、これは全くの逆効果であり、煽られた方は自分の意見が間違いなど薄々感じつつも、プライドを守りたい感情から、重箱の隅をつつくような反論を繰り返し、議論は泥沼に陥るだろう。
一方で、議論上手な人(=自分と違う意見を主張する者に、自分の意見を納得させる術に長けた人)というは、議論相手が、「もう降りたい」と思ったとき、相手に「腕を振り下ろす瞬間」を提供する能力に優れている。要するに、議論している相手に「俺の意見が完全に間違っているわけじゃないけど、今回はまぁ、君の意見がより相応しいかな」と、自発的に言わしめる瞬間を作るのが上手、そういう風に自然と言わせるように誘導するのが上手、もっといえば「意見の非を認めても、プライドが潰れないような雰囲気を作り出す」のが上手なのだと思う(たとえば、「一般論・大部分のケースでは貴方の方が正しいかもしれないけど、今回は超レアケスですからねー」「えっ、そんなレアケースありかよ?!知らなかったぜ。こんなの予測できねーよバーロww」「ほんと、バーロですよねーwじゃあ超超レアケースの今回は僕の案で行きますので〜w」みたいな雰囲気。う、表現しにくい…)
「相手のプライドも守りつつも、自分の主張を通す」、これが議論上手というものだと思う。議論の目的は、あくまで自分の主張を認めさせることであって、相手のプライドを潰すことではない。
以上、ある問題を対処するために、通達をどう解釈するかを巡っての、課長補佐と課長の議論を聞いていて感じたこと。
作らんとする料理のために特別大量・高額な買い物をすることなく、冷蔵庫の中に残された限られた食材を利用して、おいしい料理を作る人である。
冷蔵庫の中に絶望的な食材しか残されていなくても、あるいはどう考えても組み合わせの悪い食材しか残されていなくても、何を作ればおいしい料理できるかを考え、実行に移す。多少足りない食材があっても、工夫とアイデアで乗り切ったりする。こういう人は料理上手だと思う。不足している食材を補うだけの、レシピ(知識)や調理技術などがないとなかなかできないよね。
要は、通常ならば「料理決定→食材調達→調理」となるところ、「限定された食材→料理選択→調理」という流れになっている。うん、この過程がすばらしい!
料理に限らず、制限された状況下においても合理的思考のもと最善を尽くすことできる前向きな人は偉いと思う。かなり尊敬する。
たとえば、『寄生獣』のミギーなどは見上げたもので、相棒(?)のシンイチのせいで何度も不利な状況に陥りながらも、それを悔やんだり責めたりするのではく、その時点での最善手を合理的思考で探しだし、不利な状況を乗り切ろうとする。僕などは、状況が不利になると途端にやる気が失せてしまう。「なんでこんなことに……」「あいつのせいで!」と、ついつい思考が後ろ向きになってしまう。
不利な状況・制限された手段のなかで、どうやって目的を達成するかということを考えられる精神力をつけたいな、と思う。
冷蔵庫の中に絶望的な食材しか残されていなくても、あるいはどう考えても組み合わせの悪い食材しか残されていなくても、何を作ればおいしい料理できるかを考え、実行に移す。多少足りない食材があっても、工夫とアイデアで乗り切ったりする。こういう人は料理上手だと思う。不足している食材を補うだけの、レシピ(知識)や調理技術などがないとなかなかできないよね。
要は、通常ならば「料理決定→食材調達→調理」となるところ、「限定された食材→料理選択→調理」という流れになっている。うん、この過程がすばらしい!
料理に限らず、制限された状況下においても合理的思考のもと最善を尽くすことできる前向きな人は偉いと思う。かなり尊敬する。
たとえば、『寄生獣』のミギーなどは見上げたもので、相棒(?)のシンイチのせいで何度も不利な状況に陥りながらも、それを悔やんだり責めたりするのではく、その時点での最善手を合理的思考で探しだし、不利な状況を乗り切ろうとする。僕などは、状況が不利になると途端にやる気が失せてしまう。「なんでこんなことに……」「あいつのせいで!」と、ついつい思考が後ろ向きになってしまう。
不利な状況・制限された手段のなかで、どうやって目的を達成するかということを考えられる精神力をつけたいな、と思う。
福田首相の私的懇談会「公務員制度の総合的な改革に関する懇談会」(座長=岡村正・東芝会長)は31日午前の会合で、政治家と国家公務員の接触を閣僚による許可制とすることなどを柱とした答申をまとめた。(中略)登用制度では、「採用試験に基づき、幹部候補を事実上固定化するような『キャリア・システム』は廃止する」とした。国家公務員採用の1種、2種、3種の各種試験を廃止し、大卒以上は「一般職」「専門職」「総合職」、高卒者は「一般職」「専門職」の採用区分ごとに試験を行う。
YOMIOURI ONLINE「政官の接触は許可制に、内閣人事庁創設…懇談会答申へ」(2008.1.31 11:44)強調はiwashiによる
記事の趣旨であるところの「政官の接触云々」は出先勤務の僕にはほとんど関係のない話なので読み流していたら登用制度のくだりで目がとまった。といっても「キャリア制度廃止かぁ!」などということを真に受け驚いたわけでは決してなく(いわゆるキャリアは、実質的には、「総合職」に名前を変えるだけでしょう)、大卒でも「一般職」として採用する方向に話が進んでいることに良い意味で関心を持った。
この改革は、非常によいことだと思う。
大卒を出ても、一般職の仕事をしたいと思う人がいても不思議ではない。学歴と、仕事の職種への適性が、必ずしもリンクしているわけではあるまい。京王電鉄が現業職において学歴を高卒に限定せずに募集したところ、応募者の7、8割が大卒者を占めたという話もある。*1また、学歴を「低く」詐称して公務員になったとして、懲戒処分を受けたというニュースは比較的記憶に新しい。*2これは、学歴によって職種を限定したことによって発生した悲劇だろう。
実現性はどうか。「非常に高い」と考える。
そもそも、国家三種(この職種が俗に言う一般職に該当するかはわからないが)は10年ほど前まで、大卒者でも受験が可能であった。*3したがって、単純に、国家一種を記事が書くところの「総合職」、国家二種を「専門職」、国家三種を「一般職」と考えるとするならば、過去に大卒者にも一般職の門戸を開いていたことになる。この登用制度が採用されても、多少の波はあろうが、大きな混乱を巻き起こすことはないだろう。また、過去に「前例」がないとはいえず、改革者および改革調整者としては手をつけやすい部分であろう。
問題点としては、おそらく多くの官庁において「専門職」と「一般職」の配属先に大きな違いがないことである。もう少し違いをつけてもいいのではないだろうか。また、職種間の流動性も言わずもがな。なお、iwashi自身は「一般職で受けられたのならそっちできっとそちらで受けたのになぁ」と考えている人間であり、「変な意味(お察しください)で」もっと違いを出せといっているのではないということを強調しておく。念のため。
*1:「「駅員」に学生殺到の訳 鉄道マニアだけじゃない」(「AERA」2007年05月28日号)
*2:「大阪市職員400人学歴詐称、大卒者が高卒枠で就職」(読売新聞 4月14日)とか。あと横浜市でもありましたね。
*3「人事院としては、III種試験が高校卒就職希望者に対してこれまで果たしてきた役割等にかんがみ、公務という就職市場における高校卒業者、大学卒業者の住み分けの秩序を維持する必要があると判断し、III種試験のうち各省庁に共通する官職を対象とする試験区分である「行政事務」と技術系の試験区分の受験資格の上限年齢を23歳未満から21歳未満に引き下げることとした」(人事院 平成7年度年次報告書)この報告書が述べるように、制限を加えることによるプラスの効果があることも忘れてはならないし、一定のアファーマティブアクションは必要かもしれないが、それは本当の意味での改善とはならないように思う。
